こんにちは。
たえぽんです。
以前、そよ風のYoutubeに出ている
「宇宙から来た謎のポテト」から
今年のテーマをもらったという話を書きました。
ここに書いた
③一人先へ行くこと、
見捨てるという行為への許し、受け入れ
これに関して
この時とは違った「気づき」を得たので
今日は、その事について書きたいと思います。
なんだかんだ言っても
私は、どうしても
「見捨てる」という言葉に
無意識で「悪」というジャッジが
抜け切れないでいたんですよね(^^;
何も、自分と同じように
足並みをそろえる必要は無いし
「見捨てる」ということを
「悪いこと」とジャッジする必要もない。
ということを書いたくせに
やっぱり「悪いこと」と思ってしまう(苦笑)
たしかに
足並みをそろえる必要はないけれど
「仲間で活動しているなら
仲間として共に・・・」
という気持ちが出てきちゃうわけですよ。
じゃ、ここで、もし
「仲間として
勝手な行動を取る人が出たら?」
って考えると
猛烈な怒りが出てくるんですよね(^^;
でも、こういう
「イヤな感覚」が出てきた時は
本当の自分のことを知るチャンス!
なぜ、怒りが出てくるのか? |
ここを見ることが
かなりの重要ポイントなんですよね。
怒りは第二感情に過ぎない
「怒り」というのは、二次的感情で、
『何かを隠すために利用する感情』。
本当はそこに「イヤ!」という欲望があるのに
その「イヤ!」を出すことができないから
怒りが出てくる。
なぜ「イヤ!」を出すことが
できないかというと・・
「大人気ないと思われる」
「融通がきかない人と思われる」
「頭が固い人と思われる」
といったような
外側の誰かの視線を気にして
=============
「それはイヤだ!」
という欲望を表に出せない
=============
ということが起こり、
結局、それを封印せざるを得なくなり
猛烈な怒りとして現れるわけです。
「自分は、それはイヤなんだ!!」
ということが、
ここではっきり言うことができると
「怒り」は出てこないんですよね。
イヤなものをイヤと言える?
じゃあ、「イヤなものはイヤだ」と
今まで言えなかった人が
躊躇なく、それが言えるようになりますか?
というと、
なかなか難しいですよね。
子どもが、親に対して
「買ってくれなきゃ、いやだー!!」
とジタバタと泣き叫ぶようなことを
(本当はやれるといいんですが)
大人になったら
なかなかやれませんよね(^^;
自分がイヤだと言って
相手にイヤな気分を味あわせるぐらいなら
自分が我慢すればいい。
そういう人も多いと思います。
でも、こういった
「封印感情」はエネルギーで
存在しているので
発散させないと
いろんな「悪さ」を始めるわけです。
封印感情のセリフを書くなら
「俺をこんなところに
閉じ込めるんじゃねーよ!」
と言って、バタバタしている感じです(笑)
これを無視し続けると
封印感情は、封印されていることが
とにかく不快なので
なんとか、肉体の自分に
気づかせて、発散させようとするわけです。
それが、病気だったり、事故だったり
大きな出来事として現れるわけですね。
という以上のことが
頭でわかっていたとしても、
なかなか・・・ね
やれって言われても
出来ないものは出来なかったりしますよね・・(-_-)
イヤだ!という抵抗の正体は・・・
上記にも
なぜ、怒りが出てくるのか? |
ここを見ることが
かなりの重要ポイントだと言いましたが、
私なりに自分を見ていくと、
「怒り」というのは
《それをやることを許していない》ということ。
たとえば、私は
時間に遅れる人とか、許せないのですが
時間に遅れることを
自分がやることを絶対に許さない。
組織で仕事をやっているのに
勝手な行動を取る人も、許せないのですが
私自身、勝手な行動を
自分がやることを絶対に許さない。
という感じで
《自分がやることを絶対に許していない》
わけです。
だから、それを平気でやる人を
目にすると、絶対に許せないわけです。
なんてたって、自分がやれないことを
平気でやるわけですから。
「なに勝手に自由にやっちゃってるのよ!」
となる。(苦笑)
じゃ、なぜ
自分がやれないことに対して
平気でやれる人を見て腹立つのか?
この状態というのは
何かに「抵抗」しているんですよね。
その「抵抗」の正体が
==========
執着というブロック
==========
なんです。
何かに対して執着があるから
それを許せないし
絶対に自分は行動しない。
(完全にブロックですね)
たとえば、
時間を守らない事に腹が立つのは
【自分に執着している】という状態。
だって
「自分をないがしろにして!」と
とにかく自分を大事にしてよ!ということを
言っているわけですから。
自分なんかどうでもいいと
本気で思っていたら
何をされても腹は立たないですよね(笑)
だから、「イヤだ!」という
「抵抗」があるなら、
自分が何に対して
「執着」を持っているのかに
気づく必要があるんですよね。
「見捨てる」の意味
ここでいう「見捨てる」は
誰かに対してではありません。
自分自身の意識に対して行うことです。
自分自身が何に対して
「執着」をもっているのかがわかれば、
あとは、それを手放す。
そこで出てくるのが
「見捨てる」というキーワードなんですね。
============
「見捨てる」とは
「見て、捨てる」ということ。
============
ようは、
「見て、放置する」
ということで
それを見ても
「なんとかしようとしなくていい」。
いわゆる
「サレンダー」というものですね。
ま、とはいっても、
これもまた、そんな簡単ではないのですが、
宇宙から来た謎のポテトの
おススメは、
イヤなことをやる側の行動を 自分で実際にやってみる |
なんですが、
私はそれは出来ないのでw
まず、やることは
とことん「イヤだ!」と思っている自分を許す |
ということをやります。
たとえば、
時間を守らない人がイヤならば
あの人は時間を守らない。
私の時間=お金を奪っている。
私のことをないがしろにして最低なヤツだ!
ぐらいの勢いで(笑)
とにかく、嫌いな自分を出していきます。
この時、それを聞いてくれる「他者」を
存在させることを、絶対的におススメしますw
そして、聞いてくれる相手は
「悪口」として受け取る相手ではなく
「封印感情を吐き出しているのを、受け止めている」
ということを理解してくれる人がいいですね(笑)
なぜなら「悪口」として受け取る相手だと
どんどん、ドツボにハマっていき、
イヤなことに対して「攻撃」するように
なってしまうので。
言い変えると、その相手に対して
「お前が悪いんだ!私は悪くない!」
としか、観れなくなるっていうことですね。
自分が何に対して執着を持っているのかに気づき、
徹底的にイヤだと思っている自分を認めて、
徹底的にそれを吐き出す他者を存在させると
あら、不思議!
同じような事象が起こっても
何も思わなくなるし
大嫌い!と思っていた相手に対して
なんとも思わなくなるんです。
そうやって「気づき」、行動していくと
誰にもイヤな思いをさせずに
自然と、その執着を手放していけると思います。
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