私は人生どん詰まりになるとすることがある。
ひとつは、徹底的に物を捨てる。今年は年間を通してよく捨てた。大切にしていたものから、どのように処分してよいかわからずにいたものまで、みんな捨てた。
「死ぬ準備ですか?」と問われかねないほど捨てた。
店をしているので店内には物がたくさんあるように見えるが、自分の部屋にはもうほとんどない。おかげで、空間がだいぶスッキリして、気分も少し軽くなった。
しかし、現状(どん詰まり)は動かない。しかも、もう3年になる。営業をしているリラクゼーションの店は、客足が途絶え、この間どんどん寂しくなっていった。
最後まで通ってくれていたお客様も8月の来店で卒業された。9月からは誰も来ていない。この3年は5人ほどのお客様が繰り返し来店してくれたので、なんとか営業しているように見えていただけだった。
それなのに、「ちらしをまいて集客しなくちゃ!」といつも思うだけで、まったく実行できずにいた。
私の心の奥には「ここに来ても満足は得られませんよ」「リピートしたいなんて思わないから」という思いが常に横たわっていた。
「断捨離」は10月で終わった。唯一の楽しみで、心の支えでもある畑のシーズンも11月で終わってしまった。
もうどうしようもない。返済できる借金の上限は5万円。これをすべて新聞折り込みに使うか、それとも「あのひと」と話すことに使うか。
心の奥の本音があんなだから、広告を入れても無駄になるだけ。2年半ぶりに、心を決めて、「あのひと」と話そう。
そう、人生がどん詰まりになったときにするもうひとつのこと、それがこれなのだ。
「あのひと」は静かに淡々と話すヒーラーさん。セッションは対面、zoom、電話が可能だが、東京に行く余力はないので、前回同様電話セッションをリクエストした。
前回は、こんなに長いトンネルになるとは思っていない段階だったので、お店のことに関する質問をメインにしていなかった。
なので、私は午前中の屋外清掃の仕事で、スズメバチに毎日のように威嚇されることに、かなり悩んでいること等も話した。
私は中学1年のとき、キノコ採りの最中にスズメバチに首を刺された。そのときのシコリは42年後の今も残っている。それ以来、耳元で羽音を聞くとからだが硬直してしまう強度のスズメバチ恐怖症になってしまった。
それについて、先生は「スズメバチが怖いのではなく、同じ時期に体験した出来事で生きる意味、生きる目標を失っている。その喪失の恐れがスズメバチの件と一緒になっている」と話してくれた。
確かに、刺された1週間後、柔道部の練習中、骨折を伴う頚椎捻挫で長期入院とリハビリ生活が始まり、柔道中心にイメージしていた未来予想図が崩れる経験をしていた。
私はその指摘に納得したわけではなく、「そんなこともあるのかな」と思う程度だった。
しかし、それ以来、スズメバチに威嚇されることはなくなった。近くに来ても、逃げるのではなく、観察できるようになった。
今年はオクラの花に群がるキイロスズメバチとアシナガバチのとなりで、ビビりながらではあっても、威嚇されることもなく、黙々と収穫作業を続けることができた。
まあ、こんな不思議なことが起こる先生なのだ。
今回は、「まったく動けないままでいる」ことへのコメントをもらうことをセッションのメインの一つにして臨んだ。
前回も「お店が不振で」という話をしてはいた。返ってきたコメントは「ワクワクしてやっているわけではない」「マッサージでは自分が目指しているものに届かないと思っている」とのこと。まさに、その通りだった。特に「届かない」というコメントは、私の声そのものだった。
今回は「動けない」ことに対するコメントをいただいた。「そもそも好きでやっているのではない」「心の奥の自分が現在の路線のまま進んでいくことを望んでいない」と。つまり、「○分○円」で技術を売るスタイルでの発展を望んでいないとのことだった。
私の「動けない」という反応は、自分の「心の声に忠実だっただけ」なのかもしれない。
ただ、「好きでやっているのではない」という指摘は、厳密には「お金をもらってするマッサージは好きでやっているのではない」という方が本当かなと思う。
腕に自信がないということもある。だがそれ以上に、「好きな人の腰痛を楽にしたくて始めたマッサージ」「子どもの頃の肩たたき券の延長のようなマッサージ」、ここに金銭はほとんど発生しない。そんな大切な人を少し楽にしてあげるマッサージは好き。
そう、「手あて」そのものは好きなのだ。
先生も、「マッサージがダメ」といっているのではなかった。「提供の仕方をかえてみよう」ということで、「例えば」の話もしてくれた。それは、私にはない発想だった。
先生が示してくれた「例」は、「私が好きでやること」ではなかった。たぶん先生は「そのまま真似される話」はしなかったのだと思う。
「好きでやっているわけではないもの」を「好きでやっているもの」に変えるにはどうしたらいいか。単細胞的な発想だが、サービスに好きなものをたくさん詰め込んでみたらどうだろう!
受けとる金額は「自分が安心できる範囲」にとどめる。「お金にブロックがあるから受け取れない」といったメッセージからは距離をおいた。「私には低料金でも目一杯取り組める才能がある」とな😅
「治療」ではなく「少し楽にする」「ほっとする」方向にシフトする。
さらに、私の好きなこと、ワクワクすることをブレンドしてみる。歩く、横になる、マッサージを受ける、よい香り、くつろぐ音楽、甘いお菓子、イノダのドリップコーヒー、読書、やすらぎの空間…
これらをパッケージにすると、「マッサージを売る」から「時間と空間を売る」ことにシフトすることができた。
課金対象はどちらもマッサージであるにも関わらず、「売るもの」が変わってしまった。
そうすると、この1年続けてきたこととも、つじつまがあう。断捨離や模様替え、購入した置物やcd、「美しい園づくりの構想」(「『一族の土地』美しい園を目指して」①~⑧や「いろんなサイズの『一族の土地』のミニチュアをつくってみた!」参照)、そして何より「自分との心地よい関係の育成を目指した歩み」…
これらすべてが、「心地よい時間と空間づくり」の一点に集約されることに改めて気づいた。
これだけ好きなものを1つにまとめたら、少しは「人に知らせたくなる」のは自然なこと。つまり、「動けずにいたものが、わずかではあっても動き始めた」ということ。
そんな電話セッションで初めに聞いたことは、「ハイアーセルフが今一番伝えたいことは?」だった。
「自分の至らないところを責めたり、悔やんだりすることをやめて、寛容になって下さい」
3年も動けずにいる自分は「ダメ人間」と自己嫌悪していたのかもしれない。
しかし、動けずにいた理由は、「自分の中の深い部分が望んでいなかった」ことが大きく影響していた。
しかも、この2年半の間に人生のテーマや目的まで、変わってしまっていた。当然、旧態依然としたやり方で、そのまま進んでいけると考えることの方に、無理があった。
断捨離をはじめとした空気を変えるための取り組み。ヒーリングやセラピーの新しい技術の獲得を断念し、「自分との関係の改善」の中にヒーリングやセラピーの可能性を見出だして取り組んだこと。どちらもそんなにズレていたわけではなかった。
もし、私のような状況にある人がいたら、あまり自分を責めることなく、不確かに思えるその足取りをどうか信頼してほしい。そして、私にとっての「先生」のような存在は誰にでもいる。そうした方との時間をつくることもおすすめしたい。
ああ、せっかくここまで書いてきたのだが、まだ投稿する勇気がでない😓。恥ずかしさもある。商売上有利に働くとも到底思えない。
そこで今朝、先月たまたま?見た動画を思い出して、見直し、記事を投稿(=「ほっとタイム60」の船出)することにした。
それ(宇宙存在のバシャール)はこう語っていた。
「あなたの作品はそれに惹かれない人向けじゃないんです。惹かれる人向けなんです。なら惹かれない人はどうでもいいでしょう。あなたには関係ないんです」
「あなたの仕事は、目一杯にあなたであることです。それがあなたの人生の目的です」
「片面しかないコインはないのです。あなたがコインの表を持っているなら、必ず裏があるのです。でなければコインは存在しません。あなたが何か贈り物を持っているという事実が、その贈り物を受けとる必要がある人が必ず存在する現実を確定させるのです」
「ですからあなたという贈り物を引っ込めないでください。誰かがそれを受けとるために待っているのです。待たせちゃダメですよ」
(詳しくは「岩瀬アキラのYouTubeチャンネル『あなたを待っている人に会う方法』」又はnoteでの文字お越しhttps://note.com/akiraiwase_jpから『あなたを待っている人に会う方法』をご覧下さい。動画の所要時間は約2分です)
こんな感じで生まれたのが『ほっとタイム60』。これはある意味「私そのもの」。バシャールの言葉を借りれば「目一杯に私」。人様のニーズには合わないかもしれないが、せめて自分はこのメニューを大切に育んでいくことにしよう。
そんな気持ちを抱きつつ、まもなく新年、こちらもちょうど切り替え時ですね。
🐇よいお年をお迎えください🐲
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