なんでもいい
無
闇
死は
やすらぎ
おもいだした
なにもしない
をあじわっていて
魂の欲求は
無にかえる
” しにたい ”
その瞬間
他者を立ち合わせられないのは
死はかなしいもの
かなしませる
きずつける は
だめ
してはいけない
だれが きめた そんなこと?
すべてじぶんなら
そんなもの
ぶっこわせばいい
いつ どこで どんなふうに
しのうとも
観測されてもされなくても
なにを観測されても
なんでもいい
きまっている のだから
そしてね
死って ある?
生きる って ある?
いきてるようで しんでいる
しんでるようで いきている
結局わからない
わかりようもない
生と死を わけるのも
いみがない
わけるアソビがあるだけ
それで体験できることがある
からだ は ある?
体感は?
あるアソビをしている
それだけ
なんでもいい
きにいらないなら おわらせる
あたらしいアソビ
するだけ
しなくてもいい
そう
なんでもいいんだよ(笑)
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