「無を知ることで得られる最高のギフト」を読んで、
自分の中の圧縮ファイルが解凍され、人に宿っている神性と少し融和したような感覚になりました。
楽しい時間と、たくさんのギフトをありがとうございます!
私は、
「自分=宇宙=創造主=全て」
というような図式が、漠然としていて、
もっと知りたいと思っていました。
この図式は、言葉という一種の記号で理解するのもではなく、
例えば今回の場合、
「読む」という体験によって自分の中に培うものなのだろうと思いました。
筆舌に尽くしがたいことでも、自分の体感で受け取ると無限の容量で受け取ることができそうです。
そして、この本を読み終えてからのタイミングで、
前々から見ようと思っていた
映画「アメイジングジャーニー」をみました!
(2022.2.23現在、アマゾンプライムで無料で配信されていますよ♪)
見よう!と思ったタイミングでは、
無料公開まで2週間くらいあり、だったら待とうかな~と
寝かせておいていて、忘れかけていました(笑)
まず、映画の概要をみて、
これまた重い話だな…と、
その事象を想像し、オートで自分の身に置きかわったりして、
不条理さを感じ、涙。。。
けれど、
見進めていくと、また違う視点がみえてきました。
この世には善悪なんてない。
ただ存在する。
どうやら、こんな境地が存在するらしい。
私たちは計り知れないほど、日々ジャッジをして過ごしている。
ある事象を悲しみと捉えている以上、
悲しみ以外の場所を見ることができない。
映画に登場する”神”曰く、
【罪はそれ自体が罰】
であるという。
そうであるなら、罪と罰は同時進行だとも捉えることができる。
ふと、ジャッジという言葉を意識して過ごしてみると、
ジャッジしかしていないのでは…というほど、
そのような思考で生きていると気づきました。
とりわけ、子どもとの関わりにおいてはドキリとするほどに……
それはなぜかというと、
やはり、
周りの人の目を気にしているから。
どうしても、この思考パターンがあり、
それは、子どもの為ではなく、
体裁という鎧を自分に纏って、
必死に自分を守っている状態なのだと感じました。
子どもを守ってあげたい、よりよい人生を歩んでほしいと思っているのに。
自分に必死だったとは。
周りは全て自分だとしたら、
一人一人が自分の為に存在していて、
自分を生きる時間を使うために存在しているのだと思います。
そうすると、
子ども自身の様々な体験も、信頼していいんだ。と思うことができます。
そして、子育ては自分一人や家族だけが背負うものでもなく、
全て自分なら、
学んだり頼ったり相談したりすることは、そのような場所があるということは、
自分が創造しているので、
大いに活用するとよいのだと思います。
自分=創造主 で、
フォーカスしていることが現実に起こるなら、
ネガティブなパターンに感じて先々を想像することは、
今起こっていないのに、そのような現実を創造することになります。
自分の過去の経験や、周りの既成概念を、そのままセオリー通りに創造しなくてもよくて、
今この瞬間の感じ方はどんなものがいいか、
そこを大切にして、
その瞬間に任せていいのだと思います。
それは、
”「今」を生きる”
という言葉の体現でもありそうです。
どうやらそうらしい、
から、 なるほど!!
と腑に落ちる体験はなかなかよいものです☆
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