「結果は決まっているのだから、
起こった現実に
何も対処、対応しなくて良いんだよ」
だから、
誰かを何かを自分がどうにかしなきゃ!
と思わなくても大丈夫
と言われたことで思い出した
5、6年前のことを書いてみたいと思います。
わたしは長年、
脳脊髄液減少症や線維筋痛症の病気を患い、
今は寛解(症状が落ち着いている状態)ですが、
症状が一番ひどかった時に
夫に捨てられたと感じた出来事があり、
そのときに、夫に何かあったときには
今度はわたしが捨ててやる
と思ったことがありました。
今年で結婚20周年、
それだけの期間一緒にいれば
色々あるわけです(笑)
5年ほど前に、
夫が心の風邪を引いて、
通院や休職を余儀なくされた時期があり、
今度はわたしが捨てる
絶好のチャンスが巡ってきたわけですが。
その時には結局、夫を捨てるどころか、
放っておくことが出来ず、
自分で言うのもなんですが、
献身的に尽くしました。
この時に思ったのは、
「放っておいてもイイよと
言われたとしても
気になって気になって
やってしまうだろうから
あのときわたしを放っておけた夫は、
わたしに出来ないことを
平気で出来たのだから、
ある意味すごいわ~」
って、変な話しですが感心したのです。
ひと段落したときに、
夫の母から感謝の言葉をもらえましたが、
「わたしが居ても居なくても、結局結果は同じで、
この人は大丈夫だったと思います。
だから、わたしがそうしたくて
勝手にやっただけ。」
と応えました。
夫の母には
そこまでしか言いませんでしたが、
これには続きがありまして。
やってもやらなくても、
何を選んでも選ばなくても、
行き着く先が同じであるならば、
どうしたい? どう在りたい?
ってことが問われてるだけ。
わたしがやらなければ!
わたしししかいないのだから!!
は必要ないのです。
結果は同じなのだから、
そこに執着しても仕方がない。
だから夫には、
「ありがとうは要らない。
わたしが好きでやったことだから。
どちらにしても、
あなたは結局、大丈夫だったと思う。
だから次はないよ。
次に同じようなことが起きたとき、
今度こそ、わたしはあなたを
捨てることが出来ると思う。」
って言いました。
その時の自分の言葉を、
「結果は決まっているのだから、
起こった現実に何も対処、対応しなくて良いんだよ」
と言われたことで思い出していたという訳です。
行き着く先が同じなら、
それに至るプロセスは、何も背負う必要はなくて、
安心して好きなことをしたらいいんだー♪って、
改めて心が軽くなりました。
わたし達は、
わたし達が思うより遥かに身軽に、
選択肢広く、自由に生きられるのかもしれませんね。
夫の反応ですか?
夫は、
「そんなこと言うなよ~。次もやってよ~。」
と、渋いバツの悪そうな顔をしていたのを覚えています(笑)
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