早いもので今年もまもなく11月。約4ヶ月間にわたり連載した「『一族の土地』美しい園を目指して」も今回が最終回です。
当初は10年連載したいと考えて始めたのですが、すでに、美しい園「に」生きている自分を発見しました。そして、それだけでなく美しい園「を」生きるのが、私の人生なのかなあとふと思いました。本人もどこか不思議な感じなのですが、そのあたりをレポートして、「最終回」にしたいと思います。
それでは、まず「ミニチュアの園」の最終回を始めます。
前回は50m×50m(2500㎡/756坪)のミニチュアの園でした。自然栽培の畑に445㎡×2=890㎡(135坪×2=270坪)使っても、果樹4本(梅・柿・栗・銀杏)、シンボルツリーの白樺が5本、紅葉1本、ブルーベリーなどの低木果樹、小さな池や物置小屋、マッサージサロン、さらに、多目的ハウスを配置することができました。
さて、今回は100m×100m(10000㎡/3025坪)の「ミニチュアの園」になります。いよいよ1haです。
自然栽培の畑に672㎡×2=1344㎡(203坪×2=406坪)使っても、果樹8本(梅・柿・栗・銀杏×2)、白樺が10本、紅葉1本、桜1本、けやき1本、ブルーベリーなどの低木果樹、小さな池や物置小屋、マッサージサロン、さらに、多目的ハウス、丘を配置することができそうです。
やはり、1haはいいですねえ。イメージ画からも、広々としたゆとりの空間ができているのを感じます。上の写真では分かりにくいのですが、マッサージサロンの後方の空間もかなり広くとれます(全体の約40%)。
いろいろなサイズを試してきましたが、私のイメージに合致するのは1haでした。10年後にこうしたイメージが実現できるタイムラインはあると思うので、これはこれで大切にしたいと思います。そのためには、かなり収入を増やさないといけないなあ😅。たまには、宝くじも買ってみようかな。
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「人はそもそも所有できるのか?」そんな疑問がよぎった。大切な家も車も蔵書も…長くても死ぬまでしか一緒にいられない。
死ぬまでもなく、お金に困って売り払うかもしれない。大切にしていたはずなのに手放すかもしれない。そして、次の瞬間には、他の人のものとなる。あるいは、ごみになったり、更地に変わって、原型さえなくなってしまうかもしれない。
所有しているように見えるもの。それは今目の前にあるというだけ。あるいは、一定の期間、管理を「任されている」だけ。人が所有できるものなどない。自分の体さえ、時が来れば消えて行く。消える前も絶えず変化し、同質の体など、所有できない。
そんなことを考えていたとき、ふと今の生活を見つめ直した。
マンションの清掃員を始めて、もうすぐ3年になる。去年あたりから、「伊勢神宮内宮の参道の美しさを目指そう」と取り組んできた。もちろん時間と体力の許す限りにおいてではあるが…当然、伊勢神宮の参道の美しさにはまったくおよばない。
春と秋は散った花と落ち葉に追われる。夏はクモの巣に巻きつかれながら、その糞の汚れをおとすだけで、時間となる。冬は雪かき。真夏のように汗まみれになり、息が切れ、体が悲鳴をあげる。
マンションの敷地は0.6ヘクタール、取り囲む遊歩道や公園、駐車場…合わせると1haをこえるかもしれない。
「所有」はしていない。でも、この3年あまり「任された空間」を美しく保とうと励んでいる自分がいた。
「美しい園」の白樺林でやりたい演奏やスピリット・ダンス。盛岡中央公園の原っぱや林間で体操している人やウクレレの練習をしている人を見て気がつく。やる気があれば、いつでも無料で行なえる。地域の活動センターの部屋を借りても安価で行える。
マッサージルームはすでにある。本気であれば子ども食堂も少人数ならやれる。
自然栽培の畑は、しばらくは貸し農園でもいい。ここで、たくさん試してみよう。実際、今年もたくさん試した。
常識的な意味での「所有」の概念にこだわらず、「任された空間を美しく!楽しく!」ということなら、まさにこの半年間取り組んでいた。
暑さに敗けそうになり、「楽しく」よりは「苦しい」日々も多かったが、それもまた正直な体の声であり、心の声だった。これもまたよきかな。
自分は、10年後を待たずに、毎日「美しい園に」生きているようだ。その思いが深まれば深まるほど、「美しい園に」生きている実感を味わうことになるのだろう。
10月2日晴れ。自宅から20分ほど車で走る。すると小岩井農場入口付近にあるこの風景に出会える。私はこの景色が大好きなのだ。心がなごみ癒される。その日も好き過ぎて興奮してしまい、何枚も写真を撮り続けた。
そのときなぜかはっきりと感じた。
「この景色は私だ」「これは私だ」「これが私だ」。
思ってもみなかったことで、少しとまどったが、はっきりと感じてしまったのだから、そこに嘘はない。
「な~んだ、そうだったのか」
幼い頃に見た『大草原の小さな家』のインガルス家の風景が「美しい園の原型」だと思っていたのだが、まさか「美しい園の原型」が自らの内にあったとは。それでは、実現したくなるのも自然なこと。
すでに、美しい園「に」生きている自分。だけど、ほんとうは、美しい園「を」生きているんだ。「自分が美しい園そのものなんだ」と、この風景と共にあった時、それを感じた。
だから、10年後を待たずに、美しい園に生き、美しい園を「今」生きることにした。
小岩井の「美しい園」は写真のように、手前が道路になっている。交通量も多く、乗用車のみならず、トラックやオートバイもたくさん走っている。騒音や排ガスは相当なものだ。
私の「美しい園」も同じ。「美しい園を生きる」といっても、「美しい園」はごくたまにしか感じられない。「思考のおしゃべり」という名の車の往来・騒音・排ガスが、「美しい園」を覆い隠しているからだ。
ただ、こうした一見「悪」に見えるものがあるからこそ、「美しさ」というものを人間は認識できるわけで、一方ばかりを肯定してはいけないのだろうが…ノージャッジは私にはまだ難しい。
今はまず、思考をよく観察し、そのおしゃべりを減らして、「今」を生きる。この心がけが、美しい園「を」生きるためのキーワードであると感じている。そうした歩みを進めたい。
私にとっては、こちらがほんとうの「『一族の土地』美しい園を目指して① ~初めの一歩~」なのだと思う。
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話が長くなりました。
さて、こちらも最終回。菜園便りのコーナーです。
10月17日に岩手山は初冠雪。それ以来雪化粧を続けています。通勤時、私は今年36年目の相棒スーパーカブを使っているのですが、朝はさすがに寒く、いよいよ手袋が必要になってきました。冬の使者白鳥の飛来も始まったようで、市内の初雪も近づいてきました。
こんな盛岡ですが、10月23日の収穫では夏野菜のオクラ、ピーマン、ししとうがまだがんばっています。さすがに、オクラはこれが最後になりましたが、ピーマン、ししとうは11月上旬までいけそうです。赤カブは葉をだいぶ虫に食べられましたが、初めて収穫でき、嬉しかったなあ。
アイキャッチの写真は10月29日の畑の様子です。今年の秋野菜は白菜と大根がすこやかにすくすく育っています。サラダ菜は寒くなる前に急いで成長しているのかな。黄緑色の花を咲かせたような優しい姿が大好きです。
さて、今後の流れは、11月30日まであと6回ほど収穫して、その度に少しずつ畑に静けさが戻っていきます。去年の11月は収穫の楽しさとシーズン終了の寂しさが同居するせつなさを感じました。今年もそんな感じになるのでしょうね。
最後、30日に畑を均し、元の状態にして返却作業終了になります。
今シーズンもたくさんの喜びや気づき、体験をさせてもらいました。ありがとうございました。
(完)
🐕️最近読んだ本からの応援メッセージ
自分の人生という旅全体が結局はいまこの瞬間の一歩から成り立っていると気づくことです。つねにあるのはこの一歩だけ、だからそこにすべての関心を注ぐんです。もちろん、行く先はどうでもいいってことではありませんよ。この一歩が主で、行く先は二次的だってことです。そして目的地に着いたときに何に出会うかは、この一歩の質にかかっているんです。言い換えれば、どんな未来が開けるかは、いまのあなたの意識が決めるということです。」(エックハルト・トール著『ニュー・アース』より)
「過去は過ぎ去った。未来は決してやって来ない。この瞬間以外には生はない。これが真実だ!」(レナード・ジェイコブソン著『「今この瞬間」への旅』より)
☆連載ものなので、「なんのこっちゃ」と思う人もいると思います。よろしければ、「『一族の土地』美しい園を目指して①~初めの一歩~」から順番に読んでいただけると、少し分かりやすくなると思います。
菜園便り2023 総集編 ①はこちら
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