前回のブログで、”人生で起こる出来事はあらかじめすべて決まっている”と書かせていただきました。
YouTube動画でもそよ風くんと宇宙ポテトに質問をしましたが、「あらかじめ決まっているのであれば、あれこれ努力するだけ無駄だよね。どうせ結果は決まっているので。」と怠惰なおっさんは考えてしまいます。(爆)
高校で甲子園を目指している球児は、甲子園に行けるかどうかがあらかじめ決まっている。
東大を目指す受験生は、合格するか、しないかも、あらかじめ決まっている。
就職活動をしている学生は、どの企業に就職するのか、決まっている。
どのような人と結婚するのか、もしくは一生独身なのか、決まっている。
これはもうあらかじめ決まっていることなので、絶対変えられません。
つまり自分の努力では変えられない。
逆に考えると東大に合格するということがあらかじめ決まっているとしたら、なんの勉強もしなくても合格するのでしょうか?
で、前述のYouTubeでの回答に対する私おっさんの理解は、「東大に合格することが決まっていたら、たとえ努力しなかったとしても合格することになる」です。
このような人がいるかどうかは別な話ですが、「東大に合格する」という事象が本人にとって重要であると決めて生まれてきた場合、その方法は手段を問わずそうなります。
天才として生まれてくる、裏口、替え玉、手違い合格だろうが、必ず合格します。
でも、合格までのプロセスが重要であると決めて生まれてきた場合は、一生懸命に勉強するという努力の過程を踏むことになる。
そうなると、あらかじめどのように決まっていたのか、知ることができないわけなので、ほとんどの人は、結局は目標に向けて努力するという選択をするのではないでしょうか?
ただその方法が一つしかないと拘ることから脱却することが大事のようです。
そして合格するかどうかの結果は、一般的には合格すれば良い、不合格は悪いと決めてしまいがちですが、高次の世界の観点ではそうではないわけですね。
人間万事塞翁が馬と言いますが、そんな単純な話ではないより大きな流れの中で、本人の中で不合格になって得することがあります。
本人の意図とは反して、不合格になることが、人間レベルではわからないような宇宙が本人にとってより良い道を示してくれている、本人にとって実は必要なことであったというわけです。
さとうみつろうさんの著作に下記のような言葉が記載されていましたので、共有させていただきます。
「人間が変えたいのは現実ではない、現実を変えたいという思いを本当は変えたい」*1
たとえ不合格のような不本意な結果になったとしても、これは本当はしたかった経験なので、”現実は変わらなくてもいい”、つまり”どんな現実でも素晴らしい”と心から認められるかどうかがポイントです。
これができた人から、「その現実が変わっていく仕組みとなっている」とさとうみつろうさんは記載しています。
まあ、変わったとしたら、それもあらかじめ決まっていたことなのでしょう。
この世界で起こることはすべて必然で意味があることであり、自分自身によって決めてきた素晴らしい体験であることを思い出すだけでいいのです。
*1出典:『0 Rei 上』さとうみつろう 著者にて一部変更
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