映画《すずめの戸締り》を観てきました。
すずめちゃん達が起こした奇跡は、
誰も目撃することができません。
奇跡は見えないので、
奇跡が起きていることに気づけない。
けれど、わたしは、どうやら、
それを見ているようなのです。
この世界は奇跡で溢れていて、奇跡でしかない。
それをハッキリ自覚したのは、何年前だったか、
忘れてしまいましたが。
だから、ブログの末尾にいつも
【明日が来る「奇跡」に、全ての存在に、感謝を込めて。】
と書いています。
ふとした瞬間や、昨日と変わらない窓からの景色に、
涙が溢れることがあります。
「なんて美しいのだろう」と。
夫には、
「情緒不安定、今日もみほにとっての普通だね」と言われてしまうのですが(笑)
そんなとき、わたしは、心の目で、奇跡を見ているのかもしれません。
明日が来ることは奇跡で、
「いつか」は、来ないかもしれないことを知っているので、
「やりたいのに出来ない」と葛藤することが、ほとんどありません。
難病をいくつも抱えていたおかげもあるかもしれませんが、
明日、死んじゃうかもしれないと思えば、
出来ないことはないと思っていて。
だから、「出来る・出来ない」ではなく、
「やりたいか・やりたくないか」だけのこと。
ただ、コミュニケーション上、角が立つので、やりたくないとは言わず、
出来ないとう言葉を使いますが(笑)
わたしは、やりたいことしかしていないのです。
勘違いして欲しくないのは、
これは、誰かに向かって命を立てにして、
「先のことは分からないんだから、好きなことをさせろ!」
と、脅しに使うものではありません。
あくまでも、自分の内側の話しです。
そよ風くんは、「大抵の人は、みほさんタイプではなく、
やりたいけど出来ないを創り出すことで、
体験したい何かがある」と言っていました。
そう言う意味では、
「やりたいけど出来ない」さえも、やりたいことで、
イヤイヤ言いながらもやっていることは、やりたいことだからとも言えそうです。
だから、結局のところ皆んな、やりたいことしかしてない世界で、
それを「自覚」しているかどうかの違いだけなのかな。
そよ風くん曰く、「覚醒とは自覚」だそうです。
そして、ポテトくんからは、わたしの覚醒は、
先月、11月11日に完了しているを言われたばかりで。
「覚醒」の定義や意味は、人それぞれ違うと思いますが、
「覚醒とは自覚」、そして「完了している」のであれば、
こういうことなのかもしれないと思っています。
余談ですが、
「覚醒」について、ひどく退屈だと言ったら、
ポテトくんからも「俺も退屈」と返事が来ました(笑)
そよ風くんは、「退屈しちゃうから、覚醒を止めています」と言っていましたよ。
起きた出来事が「良いか悪いか」
人との関係において、「良縁か悪縁か」ではなく、
そのどれ一つが欠けても、今のわたしはいないわけで。
だから、「全てに感謝」なのだと思うのです。
そんなことを感じている今日は、冬至です。
エネルギーの変わり目と言われていますね。
今、この曲をリピートして聞いています。
皆さんは、どんな奇跡を感じていますか?
* … * … * … * …* … * … * … * …* … * … * … * … * …
ヒーリングとは、心身を癒し、本来のあなたを思い出すこと。
本当に望みさえすれば人生の再設定は可能です。
過去だって書き換えられる。
「あなたが見ている世界は、あなたが創っている」のだから。
明日が来る「奇跡」に、全ての存在に、感謝を込めて。
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